汤木贞一
汤木贞一(日语:湯木 貞一/ゆき ていいち Yuki Teiichi,1901年5月26日—1997年4月7日),是一位日本厨师,料亭吉兆创始人。
生平
1901年出生于兵库县神户市,家族是广岛藩浅野氏的武士,明治维新后祖父放下武士身份,搬迁至关西地方生活。[1]1917年在父亲料亭里打杂修行,1925年读过松平不昧的著作《茶会记》后,将茶道中怀石融入料理中,期望提高料理品质。但是与父亲意见相左而争执加深,[2]1930年11月21日自立门户,在大阪府大阪市西区开设御鲷茶处吉兆,开业当天却零客流,之后靠口耳相传慢慢积累客户。1939年12月改制成为股份公司吉兆。1987年11月将多年收藏的茶具等工艺品展示出来建立汤木美术馆。
1997年4月7日去世,享耆寿95岁。
荣誉
1981年因在料理界长期贡献获得紫绶褒章,1988年获得文化功劳者奖项。
家族
- 妻 - 表妹・きく[3]
- 长女 - 汤木照子
- 孙子 - 汤木俊治、汤木义夫
- 长男 - 汤木敏夫
- 孙子 - 汤木润治、汤木康之
- 次女 - 徳冈准子
- 孙子 - 徳冈邦夫 - 京都吉兆第三任总厨师长。[4]
- 孙女 - 杉井延子
- 三女 - 汤木佐知子
- 孙子 - 汤木喜久郎、汤木尚二
- 四女 - 汤木义子
- 孙女 - 汤木晴子、奥野八重子
著作
- ‘吉兆味ばなし 1~4巻’ 生活手帖社、ISBN 476600034X、ISBN 4766000293、ISBN 4766000307、ISBN 4766000439
- ‘吉兆 料理花伝’ 辻静雄共著、新潮社、1983年、ISBN 4103480017
- ‘卒寿白吉兆’ 主妇之友社、1991年、ISBN 4079350449-2册は大著で写真は入江泰吉。
传记
- 末广幸代‘吉兆 汤木贞一 料恩理の道’(吉川弘文馆〈历史文化ライブラリー〉、2010年)
ISBN 4642057102-汤木美术馆学艺部主任。 - 徳冈邦夫‘料亭“吉兆”を一代で筑き、茶の汤と日本料理に命を悬けた祖父・汤木贞一の背中を见て、孙の徳冈邦夫は何を学んだのか’’(淡交社、2013年)
ISBN 978-4-473-03896-8-汤木贞一孙子、京都吉兆第三任总厨师长。
参考书籍
- “数寄・日本の心とかたち”(‘淡交别册 爱蔵版’No.23)
- ^ 吉兆ヒストリー. [2021-04-11]. (原始内容存档于2015-12-26).
- ^ 花隈は色街であったため、客の嗜好は宴会料理であり、品格を求める贞一の目的とは合わなかった。またこのころ、贞一が结婚しようとした女性が実は従姊妹であったため、両亲に激しく反対された。そのため駆け落ち同然で独立したとも后に语っている。
- ^ 吉兆系図 ~ 湯木家の人々 ~. [2021-04-11]. (原始内容存档于2017-01-14).
- ^ 京都吉兆 - ゆかいな仲間. [2021-04-11]. (原始内容存档于2016-10-20).