後一條天皇
此條目没有列出任何参考或来源。 (2012年5月27日) |
敦成 | ||
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第68代天皇 | ||
在位期間: 1016年3月10日-1036年5月15日(20年66天) | ||
前任:三条天皇 | ||
繼任:後朱雀天皇 | ||
時代 | 平安時代 | |
年号 | 長和 寬仁 治安 万寿 長元 | |
首都 | 京都 | |
諱 | 敦成 | |
出生 | 寬弘五年九月十一日 1008年10月12日 | |
出生場所 | 土御門殿 | |
逝世 | 長元九年四月十七日 1036年5月15日 (27歲) | |
清涼殿 | ||
陵墓 | 菩提樹院陵 | |
父親 | 一条天皇 | |
母親 | 藤原彰子 | |
中宮 | 藤原威子 |
日語寫法 | |
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日語原文 | 後一条天皇 |
假名 | ごいちじょうてんのう |
平文式罗马字 | Go-ichijō Tennō |
後一條天皇(日语:後一条天皇/ごいちじょうてんのう Go-ichijō Tennō;1008年10月12日—1036年5月15日),諱敦成(日语:敦成/あつひら Atsuhira),日本第68代天皇(1016年3月10日—1036年5月15日在位)。
他是一條天皇的第二皇子,母親是藤原道長之女──中宮藤原彰子。藤原道長在期待多年後,總算盼得外孫皇子出生,而敦成皇子的出生也象徵著藤原一族榮華富貴的開花結果。
長和五年二月七日(1016年3月24日),年僅八歲的敦成皇子即位,道長則擔任攝政工作。天皇娶了道長之女,同時也是自己姨母的藤原威子為中宮,不曾納其他女性為妃。他與威子之間僅生有兩名內親王,沒有皇子。年輕的天皇於二十九歲那年便駕崩,並依據其遺詔,秘不發喪,舉行讓位給敦良親王的儀式。
后妃・皇子女
在位中的年號
系圖
(60)醍醐天皇 | (61)朱雀天皇 | 廣平親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(62)村上天皇 | (63)冷泉天皇 | (65)花山天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
兼明親王 | 致平親王 | (67)三條天皇 | 敦明親王(小一条院) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(源)高明 | 為平親王 | 禎子內親王 (後三條母、陽明門院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(64)圓融天皇 | (66)一條天皇 | (68)後一條天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭平親王 | (69)後朱雀天皇 | (70)後冷泉天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
具平親王 | (源)師房 〔村上源氏〕 | (71)後三條天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前任: 三條天皇 |
日本天皇 | 繼任: 後朱雀天皇 |