航空兵團 (日本陸軍)
航空兵団 | |
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存在時期 | 1936年(昭和11年)8月1日—1942年(昭和17年)6月1日 |
國家或地區 | 大日本帝國 |
部門 | 大日本帝國陸軍 |
兵科 | 航空兵 |
規模 | 兵團 |
參與戰役 | 日中戦爭 - ノモンハン事件 |
航空兵団(こうくうへいだん)是第二次世界大戰時大日本帝國陸軍的兵団。
沿革
1936年為了應對全球航空軍事進步,建立軍事組織,統帥所有陸軍航空兵部隊向大陸作戰方向挺進。1936年5月23日,宣佈組建航空兵團。 1936年8月1日,航空兵團司令部在東京都東京市麴町區隼町一丁目一三番地成立,同日開始作戰指揮權。[1]。
抗日戰爭後、1937年(昭和12年)7月15日組建「臨時航空兵団」進駐南満州。7月26日調入支那駐屯軍,赴華北參戰。1937年8月31日組建北支那方面軍時列入其編成。1937年9月11日編入第4飛行団司令部和飛行第7大隊。1938年(昭和13年)3月臨時航空兵団改編。1938年4月起改為「航空兵団」。
1939年(昭和14年)9月1日大陸命第344號,「航空兵団」從北支那方面軍轉隸関東軍,調満州國。參加哈勒欣河戰役。
軍概要
司令官
- 航空兵団長
- 徳川好敏 中將:1936年8月1日 - 1937年7月15日
- 臨時航空兵団司令官
- 徳川好敏 中將:1937年7月15日 - 1938年4月
- 航空兵団司令官
參謀長
最終司令部構成
- 兵器部長:加藤邦男大佐
- 経理部長:石毛長蔵主計大佐
- 軍醫部長:安倍伯彥軍醫大佐
所屬部隊
- 當初所屬部隊
- 最終所屬部隊
- 第2飛行集団:寺本熊市中將
- 白城子陸軍飛行學校教導飛行団:原田宇一郎少將
- 飛行第208戦隊
- 白城子教導航空地區司令部
- 飛行第7戦隊
- 飛行第70戦隊
- 第6航空地區司令部
- 第10航空地區司令部
- 航空通信第5連隊
- 航空通信第6連隊
- 関東軍気象隊
- 第7野戦航空修理廠
- 第8野戦航空修理廠
- 第9野戦航空修理廠
- 第10野戦航空修理廠
- 第11野戦航空修理廠
- 第12野戦航空修理廠
- 第7野戦航空補給廠
- 第8野戦航空補給廠
- 第9野戦航空補給廠
- 第10野戦航空補給廠
- 第11野戦航空補給廠
- 第12野戦航空補給廠
參考文獻
- 秦郁彥編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大學出版會、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝國陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 木俁滋郎『陸軍航空隊全史』航空戦史シリーズ90、朝日ソノラマ、1987年。
- 防衛研修所戦史室『陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1971年。
- 防衛研修所戦史室『陸軍航空の軍備と運用(2)昭和十七年前期まで』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1974年。
腳註
- ^ 「官報」第2879號、昭和11年8月6日號、p.191。