大炊御門麗子(おおいのみかど れいし、藤原麗子(ふじわら の れいし)、中宮麗子、1185年(元曆2年/文治元年)—1243年11月1日(寬元元年九月十八)),鎌倉時代土御門天皇中宮。女院號陰明門院(おんめいもんいん)。
其父太政大臣大炊御門賴實(日語:藤原頼実),生母左京大夫藤原定隆之女藤原隆子。元久二年(1205年),敘從三位,為女御。七月,立為中宮。承元四年(1210年),進號陰明門院。承久三年(1221年),出家為尼,法號清浄妙。寬元元年(1243年)九月,駕崩,年五十九歲。