桂川 (淀川水系)
桂川 桂川/かつらがわ Katsuragawa | |
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流域 | |
源頭 | 佐々里峠(京都府) |
• 海拔 | [convert: 無效數字] |
河口 | 淀川(京都府) |
流域面積 | 1,159 km2(447 sq mi) |
城市 | 京都府 |
本貌 | |
長度 | 107 km(66 mi) |
流量 | |
• 平均流量 | [convert: 無效數字] |
桂川(日语:桂川/かつらがわ Katsuragawa */?)是流經京都府的淀川水系的一級水系。
地理
發源自京都府京都市左京區廣河原和南丹市美山町佐々里境界的佐々里峠。在左京區廣河原、左京區花脊向南流,在花脊南部轉向西流。東西橫斷京都市右京區京北地區,經由南丹市日吉町天若的世木水庫、同市日吉町中的日吉水庫,以降向南流入龜岡盆地。縱斷龜岡市的中央部,在保津峽向東南流,在嵐山出京都盆地後向南流,在伏見區和鴨川合流,在大阪府境和木津川、宇治川合流為淀川。[1]
表記
通例上,京都市右京區京北地區的流域稱作上桂川(かみかつらがわ),進入南丹市園部地區稱作桂川,南丹市八木地區到龜岡市稱作大堰川(おおいがわ),龜岡市保津町請田到京都市嵐山稱作保津川(ほづがわ)[2],嵐山到合流地點再度稱作桂川。
1896年(明治29年)4月,舊河川法公布,同年6月施行以降,行政上的表記統一為桂川。國土地理院的測量成果,也將全流域統一表記為桂川,其他稱呼不再使用。[3]
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日吉水庫
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保津峽
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嵐山付近
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京都市內的桂川
流域自治體
名所
歷史
根據『山城國風土記』(逸文)、『日本後紀』,京都盆地流入以南的桂川古稱葛野川(かどの)。根據『秦氏本系帳』,桂川的堰堤完成之際,葛野川改稱大堰川。
之後,嵐山周邊和上游域稱作大堰川、大井川(大堰和大井同義),嵐山下游域以南稱作桂川、葛河(かつら)。『土佐日記』中記載為桂川、『日本紀略』中是大堰川、『徒然草』中是大井川。『雍州府志』中,嵯峨以南的下游稱作桂川,嵯峨以上的上游嵐山流域稱作大井川。
平安京營造之時,從現在的右京區京北町搬運木材到京都,桂川經常用在丹波和山城、攝津的木材輸送。17世紀,嵐山的豪商角倉了以開削桂川,現在的丹波町與木村通到下游的淀、大坂,所以船運發達。園部、保津、山本、嵐山、梅津、桂津等作為湊町繁榮。[4]
主要支流
源流域 - 上桂川流域
- 早稻谷川
- 能見川
- 寺谷川
- 八枡川
- 別所川
- 片波川
- 灰屋川
- 井戶祖父谷川
- 小塩川
- 稻荷谷川
- 弓削川
- 細野川
- 明石川
日吉水庫 - 大堰川流域
- 中世木川
- 木住川
- 田原川
- 園部川
- 三俣川
- 千々川
- 犬飼川
- 七谷川
- 愛宕谷川
- 曾我谷川
- 雜水川
- 年谷川
- 西川
- 鵜之川
保津川流域
- 水尾川
- 清瀧川
桂川以降
主要橋梁
數字是從渡月橋的距離(km)
- 0.0 渡月橋 (京都府京都市右京區)
- 1.8 松尾橋 (〃)
- 3.6 上野橋 (〃)
- 4.5 西大橋 (同市西京區)
- 6.4 桂大橋 (〃)
- 8.8 久世橋 (同市南區)
- 9.6 祥久橋 (〃)
- 11.8 久我橋 (同市伏見區)
- 14.1 羽束師橋 (〃)
- 17.1 宮前橋 (〃)
水庫一覽
一次 支流名 (本流) |
二次 支流名 |
三次 支流名 |
水庫名 | 堤高 (m) |
總貯水 容量 (千m³) |
型式 | 事業者 | 備考 |
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桂川 | - | - | 世木水庫 | 35.5 | 5,595 | 重力式 | 關西電力 | |
桂川 | - | - | 日吉水庫 | 70.4 | 66,000 | 重力式 | 水資源機構 |
脚注
- ^ 保津川下り(保津川遊船協同組合). [2013-01-11]. (原始内容存档于2013-01-19).
- ^ 上田正昭(監修)『かめおか・ふるさと検定テキストブック ゆっくり じっくり 探そう かめおかの歩きかた』かめおか・ふるさと検定委員会/龜岡商工會議所,2008年。龜岡の自然—近畿農政局國營龜岡農地再編整備事業 互联网档案馆的存檔,存档日期2007-09-18.、保津川のあらまし—保津川開削400周年記念事業実行委員会 互联网档案馆的存檔,存档日期2009-05-25.
- ^ プロジェクト保津川(NPO法人プロジェクト保津川). [2013-01-11]. (原始内容存档于2013-01-18).
- ^ 京都嵐山保勝會. [2013-01-11]. (原始内容存档于2012-07-09).