跳转到内容

小合溜井

坐标35°47′17″N 139°52′16″E / 35.788059°N 139.871074°E / 35.788059; 139.871074
维基百科,自由的百科全书
小合溜井
水元公園的小合溜井

小合溜井(日语:小合溜井こあいためい)是日本東京都葛飾區埼玉縣三鄉市之間的水池。又稱小合溜(日语:小合溜こあいだめ)。

在河川法上屬於準用河川日语準用河川[1]

概要

小合溜井是1729年(享保14年)在德川吉宗指示下,為了治水與調整灌溉用水,由紀州藩出身的井澤彌惣兵衛所建造的溜井[2][3][4]。「溜井」是為了確保用水而堵河形成的用水池[5]

小合溜井後來成為東葛西領50多町村的水源,因此又稱「水元」[2][6]

現在的小合溜井葛飾區側整備為水元公園,三鄉市側整備為三鄉公園日语みさと公園。雖然是東京都與埼玉縣的縣界,但兩方尚未完成邊界劃定[4][7][8]

1991年(平成3年)3月15日,小合溜井指定為準用河川[4]

為了防止水患,小合溜井在東京側有條土堤(稱做櫻堤或水元櫻堤),是染井吉野櫻花期的賞櫻景點[9]

註釋

  1. ^ 添田直人. 水元公園(東京都・葛飾区)でボートが漕げるまで -水辺空間の再構築に関する考察-(レジャー・レクリエーション研究 第63号) (PDF). 日本レジャー・レクリエーション学会: 28–31. 2009-11 [2018-06-29]. (原始内容存档 (PDF)于2018-06-29). 
  2. ^ 2.0 2.1 都会の水郷 水元公園页面存档备份,存于互联网档案馆) - 東京都公園協会、2015年11月15日閲覧。
  3. ^ 中川・綾瀬川の歴史页面存档备份,存于互联网档案馆) - 国土交通省水管理・国土保全、2015年11月17日閲覧。
  4. ^ 4.0 4.1 4.2 報告書(1947 カスリーン台風)第5章 利根川氾濫流の流下と中川流域 (PDF). 内閣府政策統括官: 133–134. 2010-01 [2017-11-03]. (原始内容存档 (PDF)于2017-11-07). 
  5. ^ 大石学『地名で読む江戸の町』p.218。
  6. ^ 『角川日本地名大辞典』。
  7. ^ 水元公園の池を巡り葛飾区と埼玉県三郷市双方が領有権を主張. 小学館(NEWSポストセブン). 2012-11-06 [2018-06-24]. (原始内容存档于2018-06-24). 
  8. ^ 東京の領土問題?页面存档备份,存于互联网档案馆) - 株式会社ヤマウラコンサルタント(土地活用ドットコム)、2015年11月15日閲覧。
  9. ^ 水元さくら堤页面存档备份,存于互联网档案馆) - 葛飾柴又寅さん記念館(かつまるガイド)、2018年6月24日閲覧。

外部連結

35°47′17″N 139°52′16″E / 35.788059°N 139.871074°E / 35.788059; 139.871074